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【 2008年 09月 07日 】
戦前の組合名簿?
いつもありがとうございます。

先日、組合事務所へ行った折、事務長がこんなものをコピーしておりました。
右から読みます。
「会員名簿」「三重県金属薄板加工工業組合連合会」とあります。
戦前の組合名簿?_b0036205_22424437.jpg

ご提供いただいたのは、当県組合員、伊賀支部、西出鈑金工作所の西出氏です。
西出氏の話では、昭和15年頃のものだということでしたが、私の調べでは昭和18年から20年頃と推察されます。(理由は後述)

昭和15年当時、物資統制の影響で組合単位での配給に移行し、「全国板金工業会」なるものを結成するに至った経緯があり、都道府県では工業組合連合会が結成されたそうです。
この会員名簿は、その際に、全県組合員名簿として編集され、関係商社の掲載とともに、関係省庁に提出されたのではないかと思われます。

当時を知る大変貴重な資料であり、当県はもとより、全国でも第一級の価値がある資料ではないかと思います。




各支部の役員一覧、役員の顔写真、組合員の住所、氏名、電話番号も併記されており、また、商社広告からは当時の社会様相を推し量ることができ、その点でも大変貴重です。
細かく見ていくと、現在は廃業されている人も多いですが、現在の組合員・青年部員の先代・先々代の名前も見受けられます。
戦前の組合名簿?_b0036205_22522317.jpg
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戦前の組合名簿?_b0036205_22525542.jpg

当時の市町村の状況、電話番号の書き方(交換手だった、また、呼出が多かった)、商社の取引銀行の様子などがわかります。
商社の肩書きには、各業界団体が多く列記してあり、そうでもしなければ資材確保が困難だったことがうかがえます。

こういった当時の名簿は、地区単位とか市町村単位とかのものは現存しているかもしれませんが、全県単位でこれだけまとまったものとなると、全国的にも現存の例がないのではないでしょうか。

私の手元に頂いたのは、原本の再コピー版ですが、できるなら原本のデータ化保存をしてみたいものです。
原本の全ページをスキャニングしてPDF化。
加えて、テキストをデータ化して、PDFに透明テキストとして貼付け。なんて、考えてます。
そこまでする必要があるかどうかは、分かりませんが。

ところで、前述した発刊時期の件ですが、キーは市町村併合時期でした。
三重県全市町村の編入の歴史を、判る範囲で調べてみました。

四日市市に富田村などが併合されたのは、昭和16年2月です。
同じく、四日市市に四郷村などが併合されたのは、昭和18年9月のこと。

この名簿には、「四日市市富田町」「四日市市四郷村」の記述となっており、少なくとも昭和16年以降、あるいは昭和18年以降と考えられます。
また、度会郡の浜郷村が宇治山田市(現伊勢市)に編入(昭和18年12月編入)されていないことから、昭和18年秋頃の編集と推察します。

ほかには、宇治山田市支部を「神都支部」(伊勢神宮の都の意)と記述していることから、昭和20年までになりますから、私の考えた時期と符合します。

なお、昭和16年に上野市が制定されているのですが、この名簿では、市制前の阿山郡上野町であったり、その他にも同様の時期的な矛盾もあります。
このことは、編集時期にずれがあったか、提供された名簿が古いまま使用したかによって発生したと思います。
よって、新しい状況と古い状況が混在したまま編集されているので、新しい情報のほうを採り、昭和18年過ぎの発刊と推察したわけです。

いずれにせよ、戦前の発刊には違いなく、その時代背景も含めて、いろいろと読み取っていくことができるでしょう。
西出氏の貴重な資料提供に感謝です!
by torimie | 2008-09-07 23:22 | 組合 | Trackback | Comments(6)
Commented by 太郎丸 at 2008-09-08 11:24 x
>昭和18年過ぎの発刊と推察したわけです。

torimieさんらしい緻密な推測ですね(笑)

それにしても非常に重要な資料として大切に保管したいものですね
滅多にお目にかかれない一品とお見受け致します!
Commented by k-bankin at 2008-09-09 21:21
載っていませんでしたか?(笑
Commented by 能登ざる at 2008-09-09 21:56 x
↑ 私も同じ意権。 載っていませんでしたか?(笑
Commented by 能登ざる at 2008-09-09 22:15 x
それにしても、写真付きってのが感動モノですね♪

当時のことですから、カメラが身近にあるわけでなく
きっと写真館かなんかでの撮影だったことと思います。
しかも、今のように手ごろな価格での撮影では無かったことでしょう!

撮影されること自体が、名誉な時代。
さぞ組合活動においても、御尽力を賜ったことと察します。

そのうち torimieさんのことも、この様な形で後世に語り継がれるのでしょうかね?
「この御方が初めて、組合の活動記録等を電子情報化した人で・・・」
「この御方の創めたブログが、○十年たった今も青年部活動の礎となって続いており・・・」
「このあいだ20年ぶりに掘り返したタイムカプセルから、ひょっこり白髪まじりの人が出てきて・・・(驚!)」
Commented by torimie at 2008-09-10 00:39
★太郎丸さん
まあ、消去法というか、証明法というか、そんな大げさなものではないですが、検証作業は興味深いところがあります。

この世に2冊と無い物ですからね。
管理、分析も重要な作業かと思います。
Commented by torimie at 2008-09-10 00:49
★k-bankinさん
★能登ざるさん
きっとそう来ると思っていましたよ。(笑)
名前が有ったらどうしようかと(思わねーよー!)

顔写真は、おっしゃるとおり、あらためた事でもないと撮影しないと思いますから、費用も含めて、安易な物ではなかったはずです。
また、時期的に、組合活動云々よりも、物資不足や戦況が優先したであろう時代、配給のためとはいえ役員として列挙された方々の苦労がしのばれます。

集合写真によっては、背景に当時の加工機械が写り込んでおり、それもまた貴重な史料です。

>ひょっこり白髪まじりの人が出てきて…
まだ生きてたのか!この野郎っ!ってね。
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